「苔作~踊りはよぉ~ 意地と度胸と心意気~
苔作~太鼓はよぉ~ 熱い男の生きざまさぁ~」
今年の徳島最終日。最後のファーストイン徳島前での演舞が終わり、アンコールをいただいた時に徳島苔作の連長(苔作には連が付かないので「会長」と呼んでいますが)が声を振り絞って唄ったこの一節。たかが阿波踊りに、そこまでの想いをこめて、この身を捧げる。苔作の魂とでもいうべきこの熱い唸りを聞き、私は自分が選んだ道の途方もない険しさに思わず武者震いが起きました。
苔作ブログをご覧の皆さま、初めまして。
今年一月から苔作で女踊りをやらせていただいています、山崎と申します。5年前、ふらっと見に行った高円寺阿波踊りで苔作と出会い、一発で魅了され、それ以降毎年苔作のおっかけをしていました。
8ヶ月間練習を重ね、徳島の4日間、そして高円寺に出演させていただいたのですが、昨年まで観客として見ていた場所で自分が踊るというのはなんとも夢のようで、その緊張感や感慨深さは相当なものでした。しかし音が鳴り出したら途端にそんなことはどこかに吹っ飛び、ただただ乗り遅れないように必死で踊るしかないのです。
太鼓と鉦が作りだす音の渦。膨張していくうねりのエネルギー。その渦の中で、音と体が一体化する。ただ遠くから見ていただけでは知り得なかったとてつもない快感があるということを、女踊りを踊って初めて知りました。
とはいえ、「山崎さん、たまにリズムに乗ってない時あるけんな」と言われてしまったりもして、失敗も勿論多々ありました…。忘れられないのは、輪踊りの時に「おまえの出番は今じゃないだろ!」と誰もが思うようなタイミングで出て行ってしまい、終わった後、「ああ、下手打った…」と落ち込んでいたら、「カッコ良かったで~。ええ度胸や」「えーのえーの。(踊りのタイミングは)自分の好きな時に出てったらええねん」と声を掛け励ましてくれた女踊りの先輩方。自分が今後何年か経って新人さんが入って来た時に、このような大きく優しい言葉を掛けてあげることが出来るか分かりません。
なんとか必死に踊り続けた徳島の4日間、反省点ばかりですが、特に印象に残ったのは徳島のお客さんの阿波踊りを見る目の真剣さです。
苔作にとって、苔作ファンの方々にとって特別な場所である大岩食品前。一番の特等席であろう場所にデンと構えて演舞の始まりを待っていた中年男性が、私を見て手招きしました。近寄って行きますと、「あんた、初めて見る顔だな」。
女踊りは4人いて、皆さまご存知のように同じ衣装、同じ笠を目深に被っています。しかもまだ踊りの始まる前。何故そんなことが分かったのだろう? と思い、訊いてみると、「ずっと昔から(苔作を)見てるんだよ」と。苔作といえばやはり、鳴り物の凄さでファンになってくださる方が大勢いらっしゃると思うのですが(私も鳴り物の迫力で苔作ファンになり、ずっと太鼓の方ばかり見ていましたので、踊りの方に目が向いたのはかなり後になってからでした…)、踊りの、しかも(個々の違いの分かりにくいと思われる)女踊りに対して、そんな確かな真摯な目で見てくださる方がいる。
こういう人を、こんな風に本気で見てくださる本物の苔作好きの人を納得させられるような踊りがしたい! そう強く思いました。
けれど、どうしたらそんな踊りが出来るのだろうか?
なによりもまずは練習だと思います。自分に自信の持てるよう、練習を積み重ねること。「そこそこの頑張りではそこそこの感動しか与えられん」。徳島の方が仰っていたその言葉が身に沁みます。そして前々回のブログで男踊りのはしべさんが書かれていたように、苔作の踊りは「踊り手一人ひとりの踊りのうまさで魅せる」という、よその連にはない独自の見せ方があるので、基礎を踏まえた上で自分らしい、自分にしか出来ない踊りを踊ること。
そしてなによりも大事なのは、徳島の会長が唄ったように、意地と度胸と心意気なのだろうと思います。上手い下手は関係ない、踊り手の『心』を、見る人は見ているのかもしれません。
「見ている人が涙流すよな踊りをしいや」「本気になって心でやるからこそ、見てくれる人も本気になって見てくれるし、本物の人間にしか伝わらんのよ」
会長から言われたその言葉が、私の心の奥底を掴んで離れません。
苔作の、あの音が鳴り出した途端に身も心も丸ごと持っていかれる、あの感覚がたまらなく好きです。そんな苔作で踊っている今でも時折、おっかけしていた頃の自分に戻り、ただただ「ああ、今日もカッコいい音カマしてくれるなあ」と聴き惚れてしまうことがあります。
だけど、苔作の一員になったからには、「見ている人が涙流すような踊り」を目指して、日々精進していかねばならない。
いつかそこに辿り着けるまでの長い長い長い道のりを思うと、また武者震いが起こるのでした。
苔作 山崎
